んまーツイッターとかでもあげてらっしゃるので、写真もまぁいいかという事で。
ダメだったら怒ってきてくれるだろうし。
ともあれ、感想をブログに書きますねって言っちゃったもんだから、約束を今回は守ってみようと。
約束なんて毎回守らなくっちゃいけないだなんて思っていたら身がもたないので、
気にせず破るか口約束なんかしないかのいずれかがよろしい。
ついでに言いますと、見た人にしかわからないブログになっていそうなのでその辺もごめんなさいしておきます。
60分の作品。決められたセリフはなく、多分ト書きのみで構成された作品。
終始DJが音楽を流し続けている(DJは芝居には不参加)。
ほとんど身振り手振りでのみ物語を展開していく。そういう作品でした。
さて、劇場を出た後に、僕はbaghdad cafe'の泉さんがいたので、すがるような気持ちで話しかけに行ったのである。
まぁ、同い年だし知り合いでもあるしで、話しかけられる間柄であったからして、救われたんだが。
実際になんと声をかけたんだかは全く覚えていないんだけれども、僕が聞きたかった事は多分
「あれはなんだったの?」っていうことなんです。もしくは首謀者は誰なのか。
「泉さんが他人の庭でバーベキューをしたのかどうか」という事を知りたかったんだけれども、
そういう事は結局聞かず仕舞い。多分そこは泉さんの事だ、最善を尽くしたか、
意図的に最善を尽くさなかったか。そのどちらかなんだろうと思う。
書きやすい事から書いてみると、欲しいものがなんなのかが少し自省して観れた60分だったなと。
ほら、よくあるじゃないですか、
ー自分勝手な生き方をしていた主人公が、家族が病気になったから実家のネジ工場を手伝いに嫌々帰省して、
そうこうしているうちに、自分というものや自分の家族が、どんな人達から愛されてきたのかを思い知らされる、
っていうハートフルコメディ。
僕はそんな作品にはお目にかかった事はないですけれども、そういう芝居を見ていると、
ストーリーは半分頭の中で処理しながら「自分はどうなんだろうな?」って思いながら見てしまうなと、そう思うんです。
僕はこのダメな主人公よりも、もしかしたらもっと社会的にダメ人間かもしれないあぁ死にたくなってきた。
お母さん元気かな、お父さん元気かな、演劇なんかやめちまってボーナスの出る仕事につかなくっちゃいけないよな、
とか、いろいろ、舞台上で起こっている事を鏡にして自分に当てはめてしまいながら見る事があると思うんです。
何かしら「接点」というものがあるんです、発信者と受信者の間には。そう思っている。
で、その接点に置かれている共通言語っていうのはやっぱり「ストーリー」なんだろなと。
今回は、ナルセケさんでは「言葉」は外していたので、まず第一にストーリー。だと思っている。
知っている人だし後で謝るけれども、有元さんの配役上の存在意義が全く確認できなかったんです僕は。
何か見落としていたのかな?
父親、娘、先生、クラスメートAB、ちょいワル兄さん。
ちょこっと話が逸れてきているので、もどします。
共通言語はやっぱり「言葉」で、それがないならば「ストーリー」だと思うんです。
ノンバーバルですから、となると、見せたいところをしっかり見せて欲しいと思う。だけれども、ね。
僕の言いたい事としては「欲しいものが貰いにくかったな」と思ったんです。
多分、そういう「見やすくする段取り」についての演出ってそんなにしてなかったんじゃないかなと予想。
僕は日頃から「ヒャッハー!」とか「フゥゥー!」とか言わないタイプの人なので、
眼前で「ヒャッハー!」されても、普通に言えば引いちゃいます。だから安全な位置から演劇なんてものを見ているんです。
共有したいから泣いている理由が知りたいし、喜んでいるならその表情をしっかり見たい。
そういう気分で見に行ってしまった。(ストーリーなんて気にしなくていいよっていう意味のアナウンスは泉くんしてたけど)
なので、「消化不良だ」と感じた部分と「ここもうちょっと見てたいな」と感じた部分の発見が糧だったかなと。
ここへきて一応明確に言っておきますけれども、批判しているわけじゃないですからね。といっておく。
主人公の成瀬サキさんがそこここで泣き崩れるんだけれども、その理由とその変化をもっとわかりやすく見たかった。
自分の登場するシーンの前に(舞台で例えると袖の中/幕の向こうで見えていない部分)
ムーブメントで助走しているネコさんのそのムーブが素敵だった。
そんな風に思ったんです。傾向としては、(あくまでも白井個人は)表情が見たい、
ダンサブルなパフォーマンスだったらそれなりにしっかりしたものが見たい。
あと付け加えるならば、重低音の肚に響く音圧が心地よかった(ライブ感)。
といったところでした。
なので、見る側の人間が何が欲しいのか、何を見たいのかっていうことが割と端的にわかった気がする。
それが、僕みたいな人間でも曲がりなりにも作り手であるからなのかもしれないですが。
ここから書くまとめめいたもの、AとBはその、
どっちを先に書くかで気持ちの伝わりようが変わってきそうなんですが、順不同で。
A)
多分、槌谷くんとかサキさんとかはじめ、すべからくキャストさんみなさん、
真面目な方々なんだと思う。真面目すぎて演劇しちゃうんだと思うんです。
みなさんも、普段から「ヒャッハー派」じゃないと思うんです。むりやり「フゥゥー!」言うてたと思います。
ですんで、そんなに踊れもせず(失礼)普段から奇声をあげることなんてない真面目な役者さんたちが
クラブミュージックという壮大な壁に(演劇という)武器を封じられた状態で果敢に挑む物語
だと思いました。今回に関しては。
けれども、選曲は自由であるし、ジャンルも変わってくるという事があるから、上の見立ては変わってくるかもしれない。
ボカロの回もあるみたいだし。そもそもの曲の中にストーリーが含まれる歌謡曲とか演歌はさすがにないと思うけど。
それでもどんどん変わっていく環境に対してアドリブで表現をするという事は大変なことだし、
そういうことができる役者さんって本当に素敵だと思う。
まだまだ可能性のあることなんで、泉さんはよそ様の庭で開拓をしたんだなと。
バーベキューではなくってフロンティアを。
B)
個人的には、音楽にノるというという事をしながらも、演劇の力を信じてほしかったなということも。
やっぱり言っておきたいなと思う。
60分の中に、奇跡の0.1秒があればそれで大満足できると思うんです。
やっぱり、僕は演劇を見に行ったんだ、つもりとしては。
せっかく役者がこれだけいるんだったら、役者がする意義があってもいいんじゃないかと思うんです。
そうでなけりゃ、役者経験のない人、例えばセリフはもうなんにもいえないけれども、人前に立つのも恥ずかしいけれども、
エネルギーの有り余っているズブの素人さんにマスクかぶせて出てもらっても成立したはず。
大音量が耳に届かないようなおじいちゃんが出てもいいだろうし、パリピと言われる人が出てもいい。
でも、役者が出るなら、「芝居をするな」って指示があったとしても、虎視眈々と芝居をする一瞬のチャンスを狙っていて欲しい。
そんな風に思いました。
やぁ、本当に後出しじゃんけんでごめんなさいな感想文でした。
僕がやろうとしてもそんなうまくいかないだろうし稽古場で口ばっかだしてうまくできないのも目に見えています。
それでも、これだけ言いたいことが吐き出せたということはこの作品には何かがあったんでしょうね。
いわゆる「余白」のようなものがあったんだと思います。
世の中には暗黒芝居(真っ暗な中でやってるやつ)もあるんで、今回のは聴覚という感覚を一つ奪われた中での作品。
五感の一つを低下させた状態で、多分だからこそ僕もこれだけ考えられたんだろうとおもう、の、です。
口数の割には要点に欠ける文章で申し訳ないと思います。
後からどんどん味のでるスルメのような作品でした。
書いたので寝ます。おやすみなさい。