邦題は『恋人までの距離』。
イーサン・ホークとジュリー・デルピーのほぼ2人芝居。
イーサン・ホークさんは名前はまれに耳にするんですけど、
あまり、僕は映画作品で見かけていないみたいです。
「ハムレット」や次作の「ビフォアサンセット」、「ヒマラヤ杉に降る雪」など。
ジュリー・デルピーさんも、よく知らなかった。だいぶんと昔に観たことのある
トリコロール三部作の、「トリコロール/白の愛」にでてたみたい。
情報なんて糞っくらえです。
知らないでも、カッコいい人はカッコいいし、ステキな人はステキなんです。
人気者でしょ?ってオーラなんて勝手に見る人に色眼鏡を強要するだけなのです。
とにかく、カッコいいなあって言うのが印象のイーサン・ホークさん。
前半のヤマ、セリーヌを誘い出すシーン。
村上春樹さんの「4月のある晴れた日に100%の女の子に出会う事について」を、
彷彿とさせます。まさに。僕にはそういう思い出がないけれど。
小説やら映画やらで、お望みのままに追体験をしております。
実は先に明かしてしまいますが、この後続けて「ビフォア・サンセット」についても、
書いちゃおうかと思っています。
ここで出会った2人は、日の出までの時間をウィーンでぶらぶらと、ラブについて、
語り明かすのです。
等身大というのがステキなのですよね。僕が思うに彼らが語る言葉というのは、
あまりにあまねく詩的に過ぎる部分がありすぎて、非日常と思えるところがある。
けれども、人って、目を見れば、想いがあれば語るわけなんです。
そこに、なんにも邪魔さえなければ、何か語る事ができるんです。
たぶんね。
僕があまり語れないのは、すこし、思わしくない、
不用意な鎖が心なり、何処にかかかっているからなんでしょう。
語らない、からと言って語りたくないわけではないんですよね。
たぶんね。
そこには思想の泉のようなものがあって、ダムのようなものがあって、
堰はきられたがっているんだけれども、物事は思い通りにはいかないようになっていて、
水門の鍵を、開けようか迷っている間に、鍵は手の中でどっかに行っちゃうわけ。
相手を想っての思いであれば、なるべく口にしていくべきなんでしょう。
たぶんね。
ともかく、2人は語るのです。お互いの愛について。
とりとめもない事から、取り戻しようのないものまで。
どうしようもない事やら、どうにもしようのない事まで。
美しい言葉や、どこにも落としようのない言葉なんかが、あっちこっち飛び交って。
果たせぬ約束を交わすのです。
半年後、ここで、また会おう。と。
美しい作品でした。