これまた、今更ながら。
本多さんにお借りしたままにまだ返せていなかった本を。
まだ、何故か読まずにおいてしまっていたベストセラー。
いつしかお返しにいくという口実の元、ご自宅に遊びにいってやろう。という、計画。
借りてすぐに読み始めてはいたのになんだか身体に馴染まなかった、
なんでだろうかわからないけれど。
それで、少しおいていたのです。それも、多分二年くらいも。
寝かせるという表現に近い。
で、ふと、読み始めてみると何故あの時読めなかったかがわからないくらいに、
するすると馴染み良く染み込んでくる。
身体が、文字を吸収するに好き嫌いがあるのだ、あるようだ。
成長というに烏滸がましいならば、変化と呼んでよいと思う。
よくも悪くも、その時において、そのもの。という。
時と場合があるのだ。
僕たちはないものねだりをしても、
結局は与えられたものでなんとかやっていくしかないのだ。
流れというのは出てくるのを待たなくてはならないし、
待たなきゃならない時には死んだつもりでまつしかないのだ。
今度神戸にいったら必ず。
ブックダーツを買おう。
さて、東京タワーであるけれど、僕はいつになるまでも、
不甲斐ないままなのだろうなぁ、と。家族の死を念頭に生きたくなんてないけれど、
上手くは言えないけれど、別々に暮らしてはいるけれど、繋がったままで生きていきたい。
そんなふうに思った。
新しいものを手に入れたからって、必ずしも何かを捨てなきゃいけない事ではないのだ。きっと。
「東京タワー」読んでみる?