夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集 1997-2011
昨年は、一年間お芝居をやってきまして、何とも珍しい事に同じ作品を手を替え品を替えやってきたわけです。実際に書きたい事はまた改めてしっかりと書くようにつとめますが、はやい話が、昨年までやって来たお芝居が評価されたという事なのです。寝耳に水とはこの事で「CoRich舞台芸術アワード2012」の18位(関西では1位)に選ばれました。作品としては「協走組曲組色 序章」という作品です。それこそ、昨年の3月に無料で上演した作品で、昨年はこの作品をベースにして、一年間突っ走ってきたといっても過言ではありません。それはそれは嬉しい事でございます。それでも、これは、なんというか、役者として評価されたというのとはちょっと違って、何かの偶然とか、例えば神様がいるならば、神様の手抜きかなにかだと思っています。も少し気の効いた言い方が出来ればいいんだけど、上手くいえません。でも、ありがたい事で、噂が一人歩きして次の作品にはもっとたくさんのお客様にお会いしたいなと思っております。
そんなわけで、ありがたくも忙しい一年を過ごさせていただいたわけです。そして、その後はもうね、ぱったり。年末に昨年最後の公演を終えてから、時間に暇ができたわけなんです。とはいえ、時間に暇ができたもののお金にはなかなか余裕があるべくもないので、お安い趣味にいそしむ事になる。これは自然な流れ。お金をかけずに有益な結果をうむ趣味のナンバーワンは部屋片付けと自炊であると思っている(ナンバーワンといいながら甲乙つけられていない僕の優柔不断さよ)。後はランニングなどのトレーニングや、読書、映画鑑賞も最近はお安いよね。パソコンで動画を漁って見るのも面白いけれども、後々とんでもなく虚しい気分になってしまうので留保。そういうわけで、久々の読書に取りかかってみたのです。そんなわけで、手に取ってみたのが本作「(長いので割愛)村上春樹インタビュー集」というわけです。
本当に久々に書籍なるものを手に取りましたけれども、僕の中には村上春樹的なものが流れているんだなと思うくらい心地よく文章が染み渡ってきたカンジを覚えています。その事に関しては高校時代の瀧口君に感謝を尽くしてしかるべきですね。高校の時に瀧口君に村上春樹先生を、谷君に曽田正人先生を、それぞれ教えてもらって、極端な言い方をすると人生は変わったんじゃないかと思っています。今でこそ自転車には本格的には乗っていませんが、高校時代には実家のある明石から城崎まで、一日で(早朝3時に家をでて、夜10時頃帰ってくる)往復した事がありました。大学になって、家族で城崎に旅行に行くというから僕もそこに「現地集合」するカタチで、大阪の住吉区から城崎まで自転車で行って(その時は僕も度胸がなかったのか親の甘い言葉にたぶらかされて)城崎の宿に泊まるという、ま、端から見ればおかしな関係の旅行をしていました。最近は三段変速のママチャリに乗っているのです。お話がそれてしまいましたが、高校時代にはおかげさまで、読書の虫でもありました。だいたいにおいて、読んだ作品については覚えてはいないのですが、週に3冊くらいの文庫本はいただいていた気がします。その中でも村上春樹の作品はとても好きで、高校時代には多分「ねじまき鳥クロニクル」辺りまででていたんじゃないだろうか?それから、大学生になり卒業し、カフカだの1Q84だのを読んでいたんだろう。
その、僕の心をとらえて話さない村上春樹さんのインタビュー集で、僕の心に引っかかった言葉としては「他人の靴を履いて旅にでる」とか「規則正しい生活をして、フィジカルを鍛える」だとか、そういう事です。どうも記してあった言葉通りには書けないけれども、そういう事。もともとジャズバーを経験していて神宮球場で野球を観ていた時に天啓を受けたように小説を書き始めた氏は、毎日規則正しく小説を書いているという。朝早く起きて小説を書いて、その後はランニングなりスイミングなり身体を鍛える作業をしているらしい。小説を書くという事は物語の中に(氏曰く闇の中に)どっぷりと浸かっていく事なので、体力は必要であるという。一時的に時間を止める集中力と、それを出来るだけ長引かせる事の出来る体力が必要である、という。力ある作品を創るにはやっぱりそれなりの体力が必要であるというのは頷けるんです。それに氏は、年に一回はフルマラソンを走っているという事なので、そこんところはホントにそうなんだなと思います。頭を使って文章を書く、という事にもそれなりの体力が必要なのであるということを言う人をはじめて見た気がして、そういう部分では目から鱗の発言だなと思った。規則正しい生活をして、本を書いて、その後きっちりと10kmなりを走る、というのは本当に理想的ではあると思うんです。僕もそれに習ってってワケじゃないですけど、走ってはいます、が、そんなに毎日って訳にはいかないし、そりゃ疲れてしまう事だってある。それでも続ける事って素敵だと思うんです。
そして、このインタビュー集は読んでいると、「何だか文章を書きたくなってくる」気持ちにさせるんです。僕だけかもしれませんけれど、インタビューに答えている言葉遣いなんかを聞いていると、綺麗な言葉遣いなもんだから、自分にもかけるんじゃないかという勘違いをさせられてしまうのです。事実、難しい事ではないようにはなされるものだから、出来るんじゃないだろうかなんて思ってしまうわけで。心で思うままに書いているだけですよ、というわけです。いったん深いところに潜ってしまえば後は簡単な作業だ、と。確かにそんな気もする。好きな人のいう言葉だから盲目的に心酔してしまっているのかもしれません。けれども、なかなかウィットに飛んだジョークを交えて「ゆっくりと、丁寧に、言葉を選んで」質問に答える氏の姿勢には僕はこれ以上ない好意を覚えるのです。
会話という事を考えるにつけ、良く話が出来る人がいいわけではなく、「その人がいるだけで(たとえその人があまり話さなくても)その場の会話が滑らかに弾む」という人っていると思うんです。目を見て頷いてくれるだけで、どんどん会話がが踊りだすような。そんな人になれるものならなりたいと思うし、なれないならなれないなりに近づきたいとも思っています。愛情、と言ってしまえば話は単純なんでしょうけど、その深さは果てしない。氏曰く「とても暗く、奇妙で、残酷で、ある時には血なまぐさい物語を書いていくと思います。僕は理想主義的で、楽観的で、愛を信じてはいますが。」と。言葉や仕草や、会話や物語に、愛情を。と思った次第です。
- 2013.01.17 Thursday
- 本
- 23:21
- comments(0)
- trackbacks(0)
- by 白井宏幸